こんにちは、さちこです。
6年ちょっと会社員として働いていたとき、私にとって「仕事」とはこんなものでした。
- 仕事とは社会を動かす仕組みに参加すること
- 組織の中のパーツとして機能し、価値を提供すること
平たく言うと、社会貢献。あとは生きるためのお金稼ぎ。
会社には不自由さもありましたが、その分の安心感もありました。多少の凹凸は全体が吸収してくれる。毎日働いているうちに「貢献できている実感」や「自分の能力が高まっている感覚」があって、自己成長の手応えもちゃんとあったんですよね。
無職になって感じた喪失感
無職になると、これまで当たり前にあったものがごっそり抜け落ちて、日常のいろんな場面で「社会から外れた感覚」を味わいました。
- 給与明細が来ない月末
これまでは「貢献への対価」を数値で示してくれていた給料がなくなり、銀行アプリも静か。達成感の着地点が消えました。 - 時間の居場所がわからない瞬間
平日10時、空いているスーパーにいると「世界のメインルートから一歩横に立っている」ような気分。周りの人は急いでいるのに、自分だけが別の時間軸にいるように感じます。 - 新しい環境での自己紹介
初めて行く病院の職業欄に「無職」と書くとき、肩書きが与えてくれていた立ち位置や存在感がスッと消え、少し心細くなります。 - 日々の成果の実感がない
会社では締切や評価で努力の結果が確認できましたが、今は努力しても宙に浮いてしまう。達成感が行き場を失います。
こうして、「社会に参加している」という感覚が薄れ、喪失感や焦りがじわじわ広がっていきました。
モヤモヤの正体
振り返ると、このモヤモヤには大きく3つの原因がありました。
- 貢献先が家庭のみになった
市場や組織を通じての広い貢献がなくなり、家庭という小さな単位に絞られた。 - 肩書きを失ったことによるアイデンティティロス
「私はこういう人です」と言える肩書きがなくなり、社会の中での立ち位置がぼやけた。 - 成長の物差しが消えた
会社で得られていた評価や数字がなくなり、自己成長を測る基準を見失った。
そして改めて、会社という仕組みがどれだけ個人に“成長の舞台”を用意してくれていたかに気づくわけです。あれ、すごかったんだなあと。
解決策のヒント
無職になったからといって、社会参加の回路が完全に閉ざされたわけではありません。視点を変えると、小さな「居場所」や「貢献の形」はたくさんあります。
- 現状を認める
「今は家庭を支えることが私の役割」と受け入れるのも大事。家庭だって社会の一部です。(それだけだとちょっと寂しいんですけどね。) - 小さなアウトプットを積み重ねる
ブログを書く、SNSで発信する、趣味をシェアする。数字で評価されなくても、誰かの役に立つ実感を取り戻せます。 - 学びを可視化する
資格や勉強記録、体力づくりなど、自分の成長を数値や記録で残すことで「物差し」を再発明できます。 - コミュニティに参加する
オンライン・オフライン問わず、同じ関心を持つ人と関わると「一人じゃない」という感覚が強まります。
まとめ
仕事を離れると、社会参加やアイデンティティの拠り所が揺らぎます。けれど、それは「新しい自分の軸を探すチャンス」でもあります。
肩書きや給料といった外側のものがなくなったとき、残るのは「自分が何を大切にして、どんな形で社会とつながりたいか」。
無職という期間は、空白ではなく「再編集のための余白」。
……と、真面目にまとめつつ。余白の時間には小さな楽しみもあります。
朝からじっくり読書をしてみたり、人の少ない時間にじっくり観光ができたり。
社会のメインルートから少し外れた道も、それなりに味わい深いものです。
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「さちこの無職日記」を読んでくださってありがとうございます。
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